8.謝辞


会社ではやりたいことを自由気ままにやってきた.また言いたいことは遠慮なく言ってきた.恐らく多くの人達を傷つけてきたのでとても嫌がられていたと思う.社内では口の悪い人間として有名であった.仕事の成果を口の悪さで帳消しにしているとも言われていた.言い訳に聞こえると思うが,人間の性格はそう簡単には直せないものである.

このような性格の人間でも認めてくれる人がいた.特に同期入社の久保隆重さんは(中研)時代,(シ研)時代を通してある時は上司として,ある時は同僚として私を助けてくれた.公私共に親しく付き合ってきたが,残念ながら若くして亡くなってしまった.また 益田隆司 さんは主任研究員になってから数年で筑波大学に転出し,その後,東京大学(理学部長)教授,電通大学長(情報処理学会会長)となった方であるが,今でもお付き合いさせてもらっている.大学人としての心構えなど指導して頂いた.入社時のボスであった故 高橋延匡 さんは日本のOS先駆者として著名であり,いろいろと指導して頂いた.東京農工大学の数理情報工学科を立ち上げた方であり,後に,学長選に出馬するので,後任教授に頼む,と私を農工大の教員公募に誘ってくれた人である.その他,多くの人達にお世話になった.

日立(中研)に配属となった当初はコンピュータの全くの素人であったが,配属されたグループには優秀で親切な人達がそろっていた.後に,多くの人達が我々の職場から大学教員になっていった.逆の見方をすれば,業績は立派であったが,企業人としての立身出世に失敗した人間が多かったのかも知れない.私もその中の一人である.(言い訳に聞こえるかもしれないが)企業での立身出世は本人の能力だけでは成し得ないところがある.配属先の状況,学校歴も含めた人脈,時の運などが企業内における将来の岐路となることが多いように思えた.特に,課長クラス以上の人事となるとその傾向が強いという印象を持っている.

上記のような環境で仕事をしてきたが,何と言っても感謝したいことは自分を育ててくれたコンピュータソフトウェアの仕事に感謝したい.職場は優秀な人材で満たされていて,しかも世界トップレベルと信じられる仕事を一貫して続けられたのは幸運であった.そしてそのような職場を与えてくれた(株)日立製作所に感謝したい.日立は技術だけではなく人間を育てるのにとても熱心な会社であった.

日本の高度成長時代に30-40代の働き盛りを迎え,当時は猛烈サラリーマン時代,企業戦士の時代といわれ肉体的にも精神的にも辛く苦難の会社生活を余儀なくされた.このような過酷とも云える中でも仕事を成し遂げられたのは強靭な肉体と精神を与えてくれた両親である.若くして亡くなってしまったが改めてここに深く感謝したい.福沢諭吉翁心訓の一つに「世の中で一番楽しく立派なことは生涯を貫く仕事のあることである」があるが,これを生涯おおいに味わうことができた.これができたのは家庭を顧みず仕事に専念させてくれた家族の支えがあったからにほかならない.

IBM産業スパイ事件とは直接関係しなかった富士通であるが,元・富士通の社員であった湖東俊彦さんからは,富士通の対応を小説として書いた伊集院氏の著書を紹介してもらえた.そればかりでなく,当時の新聞を保管しておりそれらを私に提供して頂いた.またこの長い一連の駄文を一読していただき多くの誤りを指摘して頂いた.この場を借りて厚く御礼申し上げる.

人生最大の大仕事であった「脱IBM;VOS3/ES1の開発」については何時か書こうと思っていた.それ以外にもメインフレームという時代の中で様々な仕事をやってきた.概要は10.業績一覧に示したつもりであるのでご覧頂きたい.それらの詳細は後のことにして,その大集成となった部分をこの度ここに書くことができた.その背中を押すと同時に,このような場を与えてくれた東京工業大学・応用物理学科の同級生;河野通之さんに深く御礼申し上げる.

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脱IBM VOS3/ES1開発
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