4.IBM産業スパイ事件の経過

(1)Adirondack Workbook(AW)との出会い
(2)AWの入手経路
(3)顧客を裏切るペイリン社長
(4)発端は東京だった
(5)ラスベガスでの密会:Glenmar Associates
(6)次々と関係者が芋づる式に
(7)勝負に出たFBI


(1)Adirondack Workbook(AW)との出会い


この資料の正式な名前は:Adirondack Hardware Design Workbookであり全部で27巻からなっていた.IBMのPouhkeepsie(ポウキープシー)工場で作られた.AWは3081Kの開発にあたりIBMが先端的アーキテクチャをサーベイした文献集であろう.したがって3081Kとは無関係な基礎的な研究などた多数集められていた.多くはコンピュータ関連の論文,国際会議で発表された内容であった.特徴といえるのはIBMが研究・開発過程で得られたノウハウ・発明などを公知にする目的でIBM Technical Disclosure Bulletinに公開していたが,その内容と同じものが含まれていた点である.これは他社によりノウハウや発明が権利化されるのを防ぐ目的で国立国会図書館にも収められていたと云う.我々研究所の人間はこれらの文献の多くをフォローしていたが日立の工場で働く人達にとってはでAWを手にしたとき新鮮に思えたのだと思う.

日立が最初にこれを手にしたのは1981年10月頃である.当時,米国NAS社(National Advanced Systems)は日立のPCM(Plug Combatible Mannufacturing /Machine)販売会社であった.そんな関係から,NASのDr. Barry Saffieが神奈川県秦野にある神奈川工場(略号:(神))にしばしば訪問しておりAWを持込みK.H.主任技師に手渡した.Dr. SaffieはNASのCPUアーキテクチャ部長であり日立との窓口であった.なおこのとき受け取ったAWは10巻でありVolume番号に抜け(2,5-7,13-14,16-21)があったので,全部を受け取っていないことはわかっていた.当時はAWは全部で12巻が我々の職場にはあったと記憶しているので少し数字が合わない.実は22巻が最後であると思っていたが,27巻まであることが後に分かる.K.H.主任技師はこの直前にIBMから発表された3081Kプロセッサの情報を入手しようと思っていたのでかなりの興味を示したのだろうと思われる.なお,Adirondackというのは3081Kの開発コード名でありNew York北にある山地名である.

K.H.主任技師はIBM Confidentialと書かれたこのAWをマル秘資料としてコピーを作成し関連事業部に配布した.システム開発研究所に所属していた我々のグループにも配布されていた.


1982/6/25日読売新聞朝刊:FBI,周到な捜査網-新たに逮捕の3人,
          捜査官が供述書--サファイが「火付け役」

(注釈)「4.IBM産業スパイ事件の経過」は,上記の新聞記事に掲載されている:
    米連邦捜査局(FBI)捜査官,税関特別捜査官の宣誓供述書を基づいている.

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(2)AWの入手経路


1982年6月24日(木曜)読売新聞夕刊にはIBM産業スパイ事件を摘発したFBIの捜査官の詳細な報告書が翻訳されて掲載されている.また同年7月1日には読売新聞夕刊に起訴状全文が掲載された.この他の情報などからAWがIBMから流出した経緯がある程度わかってきた.しかし不明な点も多い.この4.については新聞に報道されている情報を基本とし,そこに私の知得たことや少しの推測を混じえ,なるべく筋道の分かるような文章にしたつもりである.この内容はまるでスパイ映画そのものである.

これらによると,Dr. SaffieはNASの社員であると同時に人材斡旋業;PRO社の経営をしていた. 1981年8月の頃,Dr. Saffieは元IBM/Pouhkeepsie社員でハイチ生まれRaymond CadetにNASに転職を誘った.その後IBMの調査などから,Cadetは1980年11月頃にAWを盗み出していたという.これをNASのイラン人女学生Tabbasom Ayazi(22歳)にサンフランシスコ飛行場で預けたという.(このあたりの様子は不明な点になっている)Ayazi(アヤジ)はAWをDr. Saffieに「Cadetから預かっていたもの」と言って渡す.後にAyaziはAWのコピーを$1500/Volumeぐらいの値段で売り渡すようなことをしていた.彼女も囮捜査によりFBIにAWを売りつけたことから盗品移送共謀罪で逮捕される.

(3)顧客を裏切るペイリン社長 Paley


K.H.主任技師はAWをNAS社のDr. Saffieから手にしたが,それが完全なものでないことから抜けているVolumeを入手したいと思った.そこで(神)がシリコンバレーのコンサルタント会社として以前から取引のあったPalyn Associates(ペイリン社)の社長であるMaxwell O. Paleyに相談する.Paleyは1949年IBMに入社し,PouhkeepsieのProduct Developmentのマネージャであった.System/360開発のカリスマ設計者であるGene Amdhalの上司でもあった.AmdhalはOS/360の次期機種開発にあたりIBMの開発方針に異を唱えて退社し,最初のPCMビジネスを富士通の池田敏雄の助けを得て立ちあげた人物である.Dr. Amdhalは高速計算機の夢をもっておりIBMでは次期機種としてStrechコンピュータを推進していた.話はそれたが,Paleyは顧客である日立からAWを入手する依頼を受けたが,AWがIBMの機密文書であることはすぐに理解した.

ペイリン社の副社長はStanford Univ.のProf. Flynnでありコンピュータアーキテクチャの専門家であった.ペイリン社は社長のPaleyと副社長のFlynnの名を重ねた社名である.時折ペイリン社の調査報告書は日立社内にも回覧されていた覚えがある.K.H.主任技師の依頼を受けたPayleyは旧友であるIBM開発担当副社長Bob Evansにこの話を持ちかける.顧客の依頼である秘密情報 をIBMに通報するという裏切り行為にでたのである.IBMのBob副社長はこれを法務局機密保護上級法律顧問であるRichard A. Callahan(キャラハン)に告げる.Callahanという人物は7年間FBIの外国情報関係捜査官,5年間の米国財務省での管理職,さらに7年間を米国麻薬・有害物局の幹部として働き1971年よりIBMに勤務していた.つまり,その道のベテラン捜査官である.

そこでCallahanはペイリン社の社長Paleyに対して,まず,K.H.主任技師が保有しているAWが本物のコピーであるか否かを確かめるように連絡をする.そのために,IBMはAWの全27巻の目次のすべてをPaleyに渡す.こうして捜査の第一段階(罠)が仕組まれていく.さっそくPaleyはK.H.主任技師に電話連絡をし,AWの入手は可能であるので1981年10月2日に東京の帝国ホテルで会う約束をする.Paleyはペイリン社の従業員であるRobert Domenicoを東京に派遣すると伝える.

1983/6/26日読売新聞朝刊:裏切られた,日立,三菱


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(4)発端は東京だった


こうしてペイリン社のRobertは帝国ホテルでK.H.主任技師と密会する.そしてIBMから受取ったAWの全目次をK.H.主任技師に提示する.そのときRobertは「ペイリン社は機密情報の入手という仕事はしないのである会社を紹介する」と言い,「そのためには日立の持っているAWがどのようなものか確認しなければならない」と云いそのコピーを受け取りたいとK.H.主任技師に申し出る.K.H.主任技師はこれが捜査開始のきっかけになることを疑うこともなく承知し,10月6日に手持ちのAWの中から3巻をコピーしてRobertに手渡す.

ペイリン社のRobertはPaley社長にK.H.主任技師から受取ったAW3巻を渡す.さっそくPaley社長はIBMのCallahanに連絡し日立から入手したAW3巻を渡す.これらの巻がPouhkeepsieから盗まれたAWの実物と同一であることを確認する.これが有力な証拠となりCallahanはFBIに捜査を依頼することになる.


1982/6/24日読売新聞夕刊:発端は東京だった-昨年10月日立とFBI接触


(5)ラスベガスでの密会とGlenmar Associates


FBIはCalifornia州・サンタクララにGlenmar Associatesという対ソ連の情報活動を監視する会社を持っていた.もちろん囮捜査も含めた拠点としての活動が中心である.ペイリン社のRobertがK.H.主任技師に紹介すると言った「ある会社」とはGlenmar社のことである.Glenmar社のHarrisonは実名がAlan Garretson(ギャレットソン)であり,囮捜査の中心人物となる.GarretsonはK.H.主任技師にペイリン社から頼まれたGlenmar社のHarrisonであると名乗り,依頼された件で打ち合わせをしたいとK.H.主任技師に電話連絡をする.そして1981年11月6日にラスベガスのホテルで会いたいと申し出る.K.H.主任技師はこれを了解する.


1982/6/24日読売新聞朝刊:偽コンサルタント会社まで用意した


ラスベガスのホテルにはペイリン社のPaley社長とGlenmar社のGarretsonそしてIBMのCallahanの3名がK.H.主任技師と密会する.Paley社長はCallahanを引退した弁護士のRichard Kerriganであると紹介する.こうしてIBMの元FBI捜査官はK.H.主任技師と顔を合わせたのである.そしてPaley社長は機密情報を提供してくださる方はこちらのGlenmar社のAl HarrisonさんですとFBI捜査官であるGarretsonを紹介する.そこで,さっそくK.H.主任技師の欲しがっていたAWの残りの巻について「これは非合法であり逮捕・投獄の恐れがありますがご理解いただけますか」と警告犯罪であることをFBIのGarretsonは認識させている.これらはすべて証拠のために録音・録画されている.そしてK.H.主任技師本人が犯罪を認識していることの証拠固めをする.こうして金銭をGlenmar社に支払いAWの全巻を日立は入手した.

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(6)次々と関係者が芋づる式に


FBI特別捜査官Kenneth Thompsonの宣誓供述書によると,その後,引退弁護士としてK.H.主任技師に紹介されたIBMのCallahanから電話連絡を受けた.その内容は,3081Kに関する情報を欲しがっている人が外にいるのではないか?と問い合わせる.できるだけ協力するので関係者の名前を教えてほしいと持ちかける.そこでK.H.主任技師はソフトウェアの担当者であるI.O.(ソフトウェア工場主任技師でK.H.主任技師と同じ昭和39年東京大学卒の同期入社)の名を出す.I.O.主任技師はソフトウェア工場主任技師でありVOS3開発の課長を務めていた.当時は部長寸前の地位でスタッフ的な仕事をしており,将来を嘱望された人物である.Callahanはこの電話で1982年2月19日にホノルルのホテルで密会する約束をする.

ホノルルのホテルでは日立側はK.H.主任技師,I.O.主任技師が,そしてこのミーティングを仕掛けたIBMのCallahanとGrenmar社の捜査官Garretsonの4名が密会した.そこでK.H.主任技師はI.O.主任技師をソフトウェアの責任者であると紹介した.K.H.主任技師はどんな情報でも入手できるのかと確認する.その後,I.O.主任技師はソフトウェアの設計思想を知りたいと婉曲な希望を出したが,CallahanとGarretsonにはその意味が良く理解できなかったようである. GarretsonはFBIの捜査官であるが,以前はIBMの社員であった.しかしI.O.主任技師の意味するところを完全には理解できなかったようである.I.O.主任技師はこの場でMVS/XAのソースコードが入手できるのかと問合せたようである.


1982/6/24日日経新聞夕刊:
 「違法・盗品」告げ取引産業スパイ事件新たな展開・工場幹部らも関与


恐らくIBMのCallahanはこの質問に驚いたであろう.MVS/SP以降,ソフトウェアの著作権を意識した製品体系としており,IBMは絶対に外部に対してソースコードをIBMとライセンス契約なしに提供することはありえない時代になっていたはずである.しかし,Callahanは「可能かもしれない」と答えたのでI.O.主任技師は「しめた!」と思ったのだろう.喉から手がでるほど日立に限らずPCMにとっては最も有益な情報だ.するとGlenmar社のGarretsonがK.H.主任技師に対して「もうじき退職するIBMの重役を知っている.そこでまとまった取引をしたいので,IBMの重役に釣り合う日立の役員レベルの人物を紹介して欲しい」と提案する.これはK.H.主任技師よりも大物の名を引きずり出すための工作であった.K.H.主任技師はこれが罠であることを疑うこと無く(神)工場長,開発部長の氏名など教えてしまう.気の毒なことにこれで工場長の運命が決まった.


1982/6/25日読売新聞朝刊:Xデー巧妙なワナ
          FBIのスパイ摘発作戦“大物”取引に誘い出す


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(7)勝負に出たFBI


FBIのGarretsonはIBMのCallahanと協議した.ホノルルの密会において約束した情報提供はその内容からこれ以上の日立との接触は危険が伴うので,「まだ日立に渡っていない3081Kの文書類を一括して取引しよう」と持ちかけることにする.これをGlenmar社のGarretsonがK.H.主任技師に伝えるとともにK.H.主任技師の上司である工場長との面会を求める.K.H.主任技師は工場長にこれまでの経緯を説明し1982年4月23日にサンフランシスコのSt. Francis HotelでCallahan, Garretsonらとの密会の約束をGarretsonに通知する.

工場長は密会の場で,自分の裁量可能な幅は100万ドル(当時の為替レートで約2.5億円)であることを伝える.また,この取引には危険が伴うことも承知していると発言してしまう.つまり犯罪行為を認めた証拠になったのである.これらの密会の内容はすべて隠しカメラと盗聴器で録画・録音されており,後に刑事訴訟となった際の証拠物件としてFBIから提出された.録音テープは65分,ビデオ35時間分である.

こうして1982年6月21日の週にGlenmar AssociatesでK.H.主任技師,I.O.主任技師らと一括取引をする約束がなされ日立の支払い金額も決まった.こうしてIBMとFBIは最後の勝負に出たのである.

(閑話休題)PCMビジネスで欲しいIBM情報は何か?


 ★ハードウェア関係:周辺機器との接続とOSとのインターフェース
 ★OS:MVS/XAについては顧客に提供するアプリケーション・プログラミングのためのインターフェース.正直に言えばOSの制御情報データ構造,もっと欲を言うならば,ずばりソースコードであるが,これが一番危険なのは誰でも分かっている.

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脱IBM VOS3/ES1開発
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