4.4 民事訴訟とその経過

1982年9月16日にIBMは日立,NASなどの5法人と社員16名を相手にサンフランシスコ連邦地方裁判所に民事訴訟をおこした.起訴内容はIBM 3081Kの秘密情報が日立に渡ったために受けた被害を明らかにし,その損害額の3倍を損害賠償する要求である.アメリカでは損害賠償は被害額の3倍となっているらしい.翌日,日本の新聞にはこれらの起訴事実を報道している.

最初の刑事訴訟が始まると,日立社内ではいろいろな対策が始まった.(シ研)のT総務部長は(本事件の首謀者のK.Hと同期入社で東京大学法学部卒:自称法律専門家)次々と厳しい情報統制を始めた.ひとことで云うと証拠隠滅作戦である.我々のユニットは真っ先にそのターゲットになった.当然であるが例のAdirondack (Hardware Design) Workbookやその他関連工場,事業所から入手した文書類はすべて一箇所に集め,閲覧禁止とする処置を取った.これらの書類から派生する文書類(いわゆるsecond sourceに類するもの)もその対象であった.次に,職場から技術に関する個人所有の一般書籍を一掃すること.この中には学会論文誌なども含まれる.論文誌や単行本などは私物であるため本来は持ち込み禁止であると再度確認させられた.したがって職場で論文を読むようなことも禁止され,必要ならば図書室で閲覧することになった.もちろん外部発表なども厳しいチェックが行われ原則として我々の部署からの外部発表が許可はされることはこの先数年間はなかった.

(シ研)でのこれら一連の動きは他事業所に直ちに流れ出た.(中研)に残っていたソフトウェア研究部隊のメンバーと時折顔を会わせると(シ研)では論文を読んではいけないという噂があるが,本当か?などとからかわれたものである.それだけ我々の職場はソフトウェア事業に関わっており,IBM産業スパイ事件と密接な関係にあったことを意味する.

IBMとの民事訴訟裁判の進み方は毎週月曜に行われる(シ研)部課長会議の場で周知される.この会議は,当時毎週金曜に開催される本社での常務会報告である.常務会は午前中に開催されるので,午後からは各役員は傘下の事業所長(工場長や事業所長,研究所長など)を集めて常務会報告を伝達し各事業所への指示・命令などを行なうことにしていた.これらが次週の月曜朝に各事業所内の部長会議あるいは部課長会議などで伝達される仕組みになっていた.したがって,(シ研)では各部は昼食休憩が終わると各部長がユニットリーダー会議を開き伝達と指示が出る仕組みになっていた.その後,各ユニットはULがユニット員に伝達・命令を行う.IBMとの裁判状況については日経コンピュータなどの専門雑誌などからも入ってきていた.我々所員はこの裁判の結末がどうなるのかただ待つのみであった.

1982/9/17日朝日新聞:
産業スパイ事件-IBMが損害賠償提訴;日立と社員ら対象



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