4.3 刑事訴訟の結末

当初,日立は強気の姿勢で裁判に臨んだ.最強の弁護士を3名を雇い,長期戦に持込む作戦に出たといわれていた.しかし裁判が長引くとこの直後に起きたIBMからの民事訴訟への影響,日立のイメージダウン,本来業務への悪影響,法廷費用,起訴された社員の負担,などを考慮し司法取引を模索したようである.

そこで,社員の実刑を避けるという条件で社員と法人は有罪を認める司法取引を申し出た.この方針変更はFBIがおとり捜査で得た証拠物件;つまり大量の録画,録音の証拠物を公開すると言ってきたためであると聞いている.そこで1983年2月9日にK.HとI.Oは盗品移送共謀罪を認め,実刑を避けるが最高の刑である罰金1万ドルを支払った.なお,遅れて出廷した工場長と開発部長も有罪を認め罰金を支払ったとされている.これにより刑事訴訟は幕を引いた.もちろん今迄FBIが作った調査会社;Glenmar Associatesに支払った62.4万ドル(当時の為替レートからすると,約1.6億円)は没収されてしまったが日立にとってそれほど大きな痛手ではなかったと思われる.むしろ民事訴訟における和解は,ソフトウェアに関する秘密協定などからすると金銭的な負担が大きくコンピュータビジネスの存続に関わる重大な問題を含んでいた.

刑事訴訟は悪事を働いたことを認めたのでFBIとIBMの面子を保った.日立にとっては不名誉な結末となりイメージダウンとなった.しかし,経済的打撃は小さかった.むしろ経済的な打撃はまだ未解決な民事訴訟の場にあった.

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脱IBM VOS3/ES1開発
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