テーマC-04 『コンピュータメインフレーム物語(NEC編)』
 《生き残りをかけたIBMとの戦い》
            著者: 石黒 功
元ケイアンドアイインターナショナル 代表取締役 (元NEC勤務)
私のプロファイル

【はじめに】

これは、IBMの力が圧倒的に強く、米国や国内の多くのコンピュータメーカーがメインフレームから撤退させられた頃の物語である。 幸いNECは富士通や 日立と共に生き残ることができたが、それは当時のトップの強い意志と、開発、生産から営業、SE、スタッフまでが必死に頑張った賜物である。
私は1967年のNEC入社以来、最初の13年間はコンピュータ製品計画の立場で、次の14年間は金融システム営業の立場で(大手金融機関の基幹業務シス テムは現在でもIBMメインフレームのシェアが高い)、この激動の時代に関わることができたが、これはその記録である。
尚、当時のコンピュータグループのトップで我々がお世話になった以下の4名の方がコンピュータ博物館で紹介されている。
   石井善昭氏    金田弘氏    水野幸男氏    宮城嘉男氏
石井善昭氏と宮城嘉男氏については、当時の技術開発に関する貴重なインタビュー記事も掲載されているので参考文献をご参照いただきたい。
また、これはメインフレームの時代の物語であるが、コンピュータの歴史はその後オープンシステムの時代へと大きく変遷している。 その時代に私は15年米国で仕事をしてきたが、その活動記録を、参考文献「米国IT動向とベンチャー事情」**欧米の先端ベンチャーとの交流(録)**にまとめている。 メインフレームからオープンシステムへの変遷が良く理解できると思うので併せてお読みいただければ幸いである。

【コンピュータメインフレーム(MF)の歴史(第3世代以降)】

            業界全体              NEC
【IBMシステム360の発表と第3世代の始まり(1964年)】
(システム360の特長)
・バイト(8データビット)を基本とする汎用アーキテクチャ
 の採用(科学計算用と事務処理用の両方に適合)
・小型から大型まで同一アーキテクチャによる互換性の確保
 (ワンマシンコンセプト)
・OSの提供(マルチジョブ連続処理、オンライン・DBサポ
 ート、COBOL/FORTRAN/PL-1等の多言語処理)
【IBM 1強時代の到来】
・IBMと七人の小人と呼ばれる時代(Burroughs、CDC、
 NCR、GE、Honeywell、Sperryland(UNIVAC)、RCA)
・七人の小人の相次ぐ撤退:米国では、IBMとUnisys
(BurroughsがSperrylandを買収)2社しか残らなかった
【当時の国内の状況】
(サプライサイド)
・国産6社体制と第3世代コンピュータ発表(1965~70)
  NEACシリーズ2200(Honeywellと提携)
  HITAC8000シリーズ(RCAと提携)
  FACOM230シリーズ(独自開発)
  TOSBAC5600シリーズ(GEと提携)
  OUK9000シリーズ(合弁沖ユニバック)
  MELCOM7000シリーズ(ゼロックスXDSと提携)
 *DIPS(電電公社(現NTT)専用、F、H、Nと共同開発)
(デマンドサイド)
・コンピュータの本格利用とマーケットの急拡大
 座席予約(国鉄:日立/近鉄:NEC)(1959~60)
 オンラインバンキング(三井銀行(1965、IBM)を皮切り)
 企業業務システム(販売管理、会計、生産管理、MIS
 (経営管理)等の初期ERP、1970年代)
【1965年 NEACシリーズ2200発表】
(NEAC2200の特長)
・Honeywell200シリーズの技術導入(IBM1400互換)
 360以前(第2世代)のIBMの製品系列は1400シリーズ
 (キャラクタマシン(6データビット+2句読点ビット)、
 主に事務処理用)と7000シリーズ(ワードマシン(36ビ
 ット)、主に科学計算用)の2系列
・ワンマシンコンセプトによるシリーズ化
 (モデル100/200/300/400/500)
 (36ビットワードとしても使用可能に拡張 ->科学計算用)
・モデル500ではCPUにIC(CTL)採用(国産初、当時は
 トランジスタが主流)
・1968年 モデル700を開発
・OS(Operating System)はMOD-Ⅳ/Ⅶを提供
 (IBM360のOS相当)
【1969年頃 NPL(New Product Line)スタート】
・IBMシステム360対抗機種の開発(8データビットバイト
 マシン)
・Honeywellとの共同開発
・社内事情により基本方針が二転、三転
 ①GEの撤退とHoneywellのGEコンピュータ部門の買収
  (1970) ->HoneywellのNPLがGE版に路線変更
 ②社内の路線論争(自社開発(≒IBM互換)vs
  Honeywell提携維持)->最終的にHoneywell路線に決定
 ->NPL誕生が2年以上遅れる
【NEACシリーズ2200の延命強化】
・NPLプロジェクトの遅れ対策
・1971年 モデル375/575の発表
 
【コンピュータ自由化方針の決定と補助金政策(1971年)】
・1975年までに資本、貿易、技術導入の自由化
・通産主導による補助金政策(5年間、570億円)と国産メー
 カの3グループ化によるIBM360/370(後継で3.5
 世代、1970年)対抗機種の開発 (1974~75年発表)
  富士通/日立:Mシリーズ   三菱/沖:COSMOシリーズ
  NEC/東芝:ACOSシリーズ
【国産メーカー6社から3社に】
・東芝(1978年)、続いて三菱、沖の撤退
・富士通と日立はIBM互換路線
 富士通:アムダール社(Plug Compatible、ハードのみ提
 供、OSはIBM使用)買収によるオブジェクトレベル互換
 日立:IBMとの協調路線によるソースレベル互換
 IBMとの著作権侵害係争を経て現在は両社共独自路線
・NECはHoneywellとの提携によるIBM非互換路線
・国産メーカ3社の奮闘(国内でのIBM 1強を阻止)
【オープンプラットフォームの台頭とIBM 1強の終焉】
・Sun、HP(1983)、IBM(1986) UNIXサーバー発表
・日立、富士通、NEC UNIXサーバー発表(1991)
・富士通、日立、NEC PCサーバー発表(1992~94)
(オープンプラットフォームの特長)
・業界標準OSの搭載:UNIX(AT&T->UC Berkeley)、
 Linux(オープンソース)、Windows(MS)
・CPU(マイクロプロセッサ)はCMOS RISCタイプ(命令
 セットを削減し単純化・高速化したもの)が主流
・パラレル処理、RAS(高信頼度技術)、OS機能等の技術進
 化->基幹システムへの適用
・業務パッケージの普及(ERP、SFA/CRM、バンキング)
・オープンプラットフォームによるメインフレームのリプレ
 イス(ダウンサイジング)
・パラレルメインフレームへ移行(CMOSプロセッサ)(各社)
【1971~2年 新シリーズ(ACOS)の開発と商品化】
・NPLプロジェクトの商用化
 HoneywellのNPLの技術導入(OSはACOS-2/4の2系統)
 HoneywellのGEコンピュータ部門の買収により、開発は
 世界分散(ACOS-2:イタリア、ACOS-4:フランス
 (Bull)
・国産メーカーの3グループ化に伴う東芝との協業
 (Honeywell/GEグループ)
 ACOS-6(TOSBAC-5600の後継)が製品ラインに加わる
【1974年 ACOSシリーズの発表】
・ACOS 200(ACOS-2)、300/400/500(ACOS-4)
・続いて 600/700/800/900(ACOS-6)
【1978年 東芝撤退に伴うNEC1社体制】
・最上位機種ACOS1000を発表(1980)
・以降は実質的には全面自社開発
・HoneywellへのOEM供給(1984~)
・世界最高速のコンピュータを相次いで発表
 ACOS1500(1985)、2000(1986)、3800(1987)
【1991年 Honeywellコンピュータ撤退】
・フランスBullへのコンピュータ部門の売却
・以降はBullへのOEM供給
【1994~6年 パラレルACOSの発表】
・ACOS-2/4/6へのNEC専用プロセッサ(NOAH)の採用
 CMOS 1チッププロセッサ(4コア(EPU)を1チップに
 収容)x 1~8個のパラレル処理
・その後ACOS-2はインテルマイクロプロセッサ(Zeon)に
 切り替える
・UNIX/PCサーバーではインテルマイクロプロセッサ
 (Itanium、Zeon)を採用
 
 

【コンピュータテクノロジの変遷】

  第2世代
(1950年代)
第3世代
(1960年代)
3.5世代
(1970~80年代)
パラレルMF
/オープンシステム
(1990年代~)
代表的な機種 IBM7090
(36ビット
ワードマシン)
N2200/700
(6ビット
キャラクタマシン)
ACOS3800
(8ビット
バイトマシン)
i-PX9800
(8ビットバイトマシン)
/Windows Server
UNIX Server
中央処理装置
(CPU)
トランジスター
2進加算 4.36μS
バイポーラIC(ECL)
2進加算 0.5μS
1~2CPU
バイポーラIC(ECL)
1~6CPU
1チップCPU(CMOS)
4コア(EPU)/CPU
x8CPU=Max.32コア
主記憶装置 磁気コアメモリ
32Kワード
磁気コアメモリ
2M字
4Mビット/チップ
DRAM(MOS) 8GB
2Gビット/チップ
DRAM(MOS) 32GB
外部記憶装置 オープンリール
磁気テープ
磁気ドラム(1~4MB)
可換型ディスク
パック(5~100MB)
固定ディスク
(300MB~1GB)
ディスクアレイ
小型化(14->9->5インチ)/高密度/アレイ実装
~数テラB
ストレージシステム
(運用の自動化)
~数千テラB
プリンタ ラインプリンタ(PR)
(300~1,000行/分)
ラインPR
(1,000~2,000行/分)
レーザー(ページ)PR
(漢字対応)
レーザーPR
ドッドインパクトPR
(漢字対応)
レーザーPR
ドットインパクトPR
インクジェット
PR(漢字対応)
ソフトウェア
(OS)
モニタ(シングル
ジョブ逐次処理)
多言語処理(FORTRAN、PL-1
COBOL、アセンブラ)
MOD-Ⅳ/Ⅶ
マルチジョブ/マルチ
プロセッサ
バッチ/オンライン/
リモートバッチ
ACOS-4
OLTP(オンライントラン
ザクション処理)/
DB管理/開発・運用
支援ツールの充実
ACOS-4XA
Windows/Unix(Linux)
マルチホスト(OS)間
の自動バックアップ
/遠隔バックアップ
(ノーダウンシステム)
ネットワーク 専用線/電話回線網
独自プロトコール(SNA/DINA)
パケット通信
ARPANET
Ethernet(TCP/IP)
LAN/Router
インターネット
無線LAN

              

【製品計画部門で私の担当した業務】

① NEACシリーズ2200モデル700 開発プロジェクトへの参加
入社し、製品計画部門に配属されて最初の業務はNEAC2200/700の開発プロジェクトへの参加であった。 モデル700はHoneywellとは独立してNECが自社 開発したモデルで、CPU素子にIC(ECL)を全面採用した当時では最高性能のコンピュータであった。 私の配属は田町であったが、府中工場に1年半通って 最新鋭のコンピュータを勉強しながら、性能評価やSE向けドキュメント作成を行った。 モデル700は1968年に発表された。
② NPLプロジェクトへの参加
次に担当した業務はNPL(New Product Line)プロジェクトへの参加であった。 NEAC2200はテクノロジーは最先端であったが、アーキテクチャはキャラクタ マシン(6データビット)で1世代古く、このためIBM360/370に対抗するためにバイトマシン(8データビット)の開発が急がれていた。
NPLはHoneywellとの共同開発でスタートし、当時我々は米国で開発されていたNPLの技術導入のため英文の説明書を読み解きながら習得に努めていた。  ところが、米国でGEがコンピュータから撤退し、HoneywellがGEのコンピュータ部門を買収した。 その結果、Honeywellの基本方針が見直され、NPLが HoneywellのものからGEのものに変更され、仕様は一遍に変えられてしまった。 そこで勉強をし直していた頃、今度は社内で路線論争が勃発した。 我々 のコンピュータグループに通信グループ(小林宏治社長、関本忠弘社長の大物社長を輩出した名門)から専務が来られ、その専務が自社開発(≒IBM互換)に拘った ためにHoneywellとの共同開発路線と激しい路線争いになった。 この論争は1年を経て、最終的にHoneywell路線に落ち着いたが、これらの2つの経緯から NPLの誕生は2年以上遅れてしまった。
③ NEACシリーズ2200の強化計画
NPLの進捗が遅れていたためNEAC2200の強化が必要になり計画立案・実施に参加した。 モデル375と575の2つのモデルで、旧モデル500と700をベースに 仕様や価格の見直し、周辺装置の拡充を行い、1971年に発表した。
④ ACOS-4システムの製品計画
NPLはACOSシリーズ77(後にACOSシリーズ)として発表された。 ACOSは、小型のACOS-2、中大型のACOS-4、超大型のACOS-6の3つのOSで構成され るが、私はその中でACOS-4を担当した。 ACOS-4システムの特長は以下のとうりである。
1.新アドレス方式(セグメンテーション&ページング)やOS機能の一部ファームウェア化(ROMに常駐するソフトウェア)など、IBM360/370より革新的なアーキテ クチャ
2.当初は中大型領域(モデル300/400/500)をカバーしたが、後に超大型領域(モデル1500/3800)までカバーし、ACOSシリーズの中で中核的な存在
3.OS(ACOS-4)でも、多次元処理(ローカルバッチ/リモートバッチ/オンラインリアルタイム)、OLTP(オンライントランザクション処理モニタ)、DB管理(階層型と リレーショナル型)、障害復旧(タスクやDBの自動リカバリ)、開発・運用支援ツール、リモート保守等で最先端機能を実現。
ACOS-4は、初期のコア部分はHoneywellから技術導入したが、以後は全面的に自社で開発した。
製品計画として、ハード外部仕様の作成やプライシング、OSの機能定義とプライシング(ソフトのアンバンドリング)及びリリース計画の作成、補助金政策対応業務 (技術資料作成、東芝との協業)等を行った。
⑤ ACOS-4システムの発表準備と発表後のセールス支援
ACOSは1974年に発表されたが、そのための作業(カタログやセールス資料の作成、社内教育支援)に従事し、発表後は製品計画をアップデートしながら国内や 東南アジアでのセールス支援を精力的に行った。 当時は各社が次々撤退していた頃でユーザから“NECは大丈夫か”と真剣に心配されたが(この頃NHKの朝の TVニュースで “NEC コンピュータから撤退” の誤報が流される)、営業、SEと一緒にユーザの不安を打ち消しながら営業活動に邁進した。

【おわりに(謝辞)】

本資料の作成に当たっては多くの情報を一般社団法人情報処理学会のWebサイト コンピュータ博物館  からいただいている。 また、数点の写真やPDF資料もそこからコピー、引用させていただいたことを感謝とともにお断りします。
尚、コンピュータ博物館の館長(情報処理学会歴史特別委員会委員長)の発田弘氏は製品計画部門時代の私の上司で、今回の資料作成に当っては色々コメント をいただき、ご指導いただいた点につきまして深甚なる謝意を表します。

(参考文献)
1.インタビュー(石井善昭氏)    インタビュー(宮城嘉男氏)
2.入出力制御方式(発田弘、石黒功)「情報処理」第12巻超大型機特集号1971年8月
3. 「米国IT動向とベンチャー事情」**欧米の先端ベンチャーとの交流(録)**

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