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            著者: 瀧田 正人 (元東芝勤務) 私のプロファイル

1.大都会のせせらぎ

1970年は私の技術者ライフにとって、非常に重要な年となっている。
① 東工大を卒業し、総合電機メーカに就職し、重電の技術部に配属になった。
その後、何度かの変遷があったが、上下水道プラントの設備を一番長く担当した。
② 水質汚濁防止法が制定された。
横浜で育った私が東工大に入学し、都内に通い出してから50年以上が経つが今でも、その時に水道水をまずいと感じた事が鮮明に思い出される。  現在のように水道の蛇口につけるフィルタやペットボトルの水なんてものが無い時代である。 毎日、通学で乗る東横線の多摩川鉄橋のところに 小さな堰があり、そこに沢山の泡がでていた。 その堰で多摩川から取水して浄水場に送っていたが、同年に停止した。
それまでの(個人的印象では10年ほどか)日本は高度成長の名のもと、空気と水を汚しまくっていたのである。 横浜という街は私の子供時代 には、山あり、川あり、田畑あり、海ありの都市であった。 生活の場に小鳥がさえずり、小川に小魚がいて、夕焼けの田畑に白鷺が飛んでいた ことが思い出される。 いつから赤トンボを見なくなってしまったのだろうか。 大人になったころから、山は宅地開発され、小川は異臭を放つ ドブ川に変わり、海ですら海苔やアサリの養殖なんて見られず、子供を連れて波打ち際で遊ぶ姿も無くなった。
しかし、3年前にリタイヤしてから健康のためもあり、散歩をするようになって驚いたのは横浜のど真中の川に遊歩道が整備され、川魚が戻り、 鴨や白鷺からさまざまな小鳥が歌う環境とまだ少ないが小川に入って遊ぶ子供たちの姿を見かけるようになっていたことである。
個人住宅の下水を振り返ってみよう。場所による差異はあるが、大体次の変遷をたどった。
① 便所の汲み取り ② バキュームカー ③ 浄化槽(生活排水は別?) ④ 下水道への接続
この浄化槽の時代までは、台所や風呂の排水は町を流れる小川を汚染し、小川をドブ川に変えてしまっていたのである。 日本の首都である東京都 の23区ですら、1970年の下水道普及率は5割にたっしていなかった。 そこでは下水道普及率の向上だけではなく、東京湾、瀬戸内海などに 面した全ての地域で排出する環境負荷の総量規制といったことも無視できない成果をもたらしてきた。 これらの国を挙げての努力の結果、 21世紀を迎える頃にはドブ川を小川に生き返らせてきた。 都市部で蛍とは言わないが、小魚と水鳥のいるせせらぎとそれを維持していくための 仕組みは貴重な財産と実感している。

2.上下水道プラントにおける電機設備の変遷

一番、大きく変遷したのは監視制御のシステムであり、二番目はその制御システムの制御対象であるプロセスのいろんな箇所の圧力や流量などを 変化させるために小さな補機の運転速度を変えるインバータドライブなどの適用と思う。
(1) 監視制御システムの歴史
私がまだ仕事を始めたころであったが、京葉工業地帯のある化学プラントで大きな事故がおこった。 それからしばらくして業界に流れた情報は 監視制御システムの基本設計をするものにとって、非常に重要なものであった。 当時はコンピュータによるプラントの自動制御が採用されはじめた 時期であり、プラントの状況である多数のポイントの温度、圧力、流量、液位などの情報のコンピュータへの入力はアナログインプットと呼ばれ、 入力数も多く、高価になるものであった。 コストダウンのために、従来のメータを沢山取付け運転監視員が観てチェックしていた頃よりも監視 点数を少なくしてしまい、プロセスの一部の異常が見つからずに事故に至ったとのことであった。
このことは、メーカにもユーザにも浸透し、その後のDDCといわれたコンピュータの自動制御システム(ダイレクト デジタル コントロール)の 立案する際に入出力で足りないものは無いかなどが重要な検討項目であった。
しかし1970年代は、監視制御の世界ではまだまだコンピュータ の採用は少なく、従来からのアナログであった。
監視制御システムとは日本語ではあまりその機能が抽象化されてしまっているが、英語では “Supervisory Control And Data Acquisition System” 略してSCADAといった。 Supervisory とは プラントの運転状況を的確に表示することであり、国語解釈から離れるがこの的確とは適切かつ正確に ということである。 適切とはプラントの運転状況を掌握するうえで、必要な情報を全て表示することであり、正確にということは、誤読や誤解を 生まないようにということである。 ここで、ヒューマンインターフェイスという言葉を生み出した米国の先進事例がある。 第2次世界大戦中に 戦闘機の訓練飛行中に山に激突する事故が何件かでた。 日本ならたるんでいると鉄拳制裁の時代に米国では学者等を集めて原因を科学的に追究し、 高度計が誤解を生みやすいものである事を見つけて、改良したことがある。 日本社会では、たるんでいる/緊張が足りないなどの言葉をよく聴く ことがある。 そんな事を言う前に、人間の緊張持続限界はどうか、たるんできた気持ちを必要時にどうやって引き締めるようにできるかなどが 重要と考える。
当然、多数の機器の運転・停止以外に故障内容の表示などもある。 下水処理場には多数の機械があるので、いわゆる工業用水の使用があり、処理水 を濾過して使っているプラントもある。 その濾過工程で目詰まりを起こしかかっているという警報である「ろ抗圧高」という故障警報がある。  プラントの運転継続に対し、この警報下では何の支障も無いが、ろ過水量が低下してくる。 その結果、下水の脱水汚泥焼却炉の排風ブロワの シーリング水が不足し、ブロワの緊急停止とその結果として焼却炉の緊急停止を招いたことがある。 このように軽故障から始まって故障の連鎖で プラント全体の運転継続にかかわる重故障に発展することは枚挙にいとまはないと考えられる。 どの故障をどのように表示していくかも重要な エンジニアリング課題である。
Control とは プラントの全ての機器や圧力・流量・温度などを操作することであり、細かいところはリレー/タイマー や調節計などで自動運転 させて、重要な事項はオペレータの指示や操作をできるようにすることである。 そのため、地区電気室の存在はプラント毎にさまざまであるが、 そこには機器の運転・停止の電気のスイッチ(ブレーカとコンタクタ、過負荷・漏電検出など)と自動・連動のためのリレー、タイマーや圧力や 液位の所定の値であることを検出する設定器やそのための付属装置が設置され、中央には大きな監視盤があり、そこでプラントのプロセスを図示 しながら、主要機器の運転状態、プラントの故障表示、圧力等のプロセス智表示、オペレータの操作スイッチ、目標値設定器などを並べていた。  そのためこの監視盤はかなり大きなものになり、上記のオペレータが監視して、操作することができるようにするために内部に収納されるものも、 多数になった。
もう一つに“Data Acquisition”データ収集機能がある。 中央には非常に沢山のプラントの運転情報が集まる。そこで人間が行っている事と、 やろうとしても出来ないことがある。
  ・行っている事: プラントの運転に関する日報、週報、月報の作成
  ・出来ない事: 大きな故障等が起きたときに、その直前からの運転状況詳細とその故障等の発生詳細
         (飛行機事故の際のフライトレコーダはよく知られていますね。)
監視制御で記述したように、沢山の情報が中央に集まるので、それをコンピュータに入力してこの二つの機能だけに特化したものも当初はデータ ロガーと呼ばれた。 このような中央におけるDDC コンピュータやデータロガーの浸透よりも急速に普及してきたのが、シーケンスコントローラ (シーケンサ)である。 上述の地区電気室には予め定められた機器の連動運転や自動運転のための非常に多数の補助継電器(リレー)やタイマー に構成された制御盤が、これに置き換わってきたのである。 このときには、二つのことが論議されました。
① コントローラの CPUが故障して、論理回路が誤動作したらどうするのか。
② 機械やプラントから重要な故障信号などが来る場合に、それが正常に機能しないとどうするのか
。 前者は、論理的にいつも 1 になるアルゴリズムを内部につくり、これが 0 になると故障というものをつくり、“Watch Dog”(番犬)と呼称 したりするようになった。 中央のコンピュータでは、これが進化して二重化システムなどが生み出されてきた。 また、コストは高くなっても 信頼性が必要とされるものでは、2 Out Of 3という三重化して、3台のコンピュータの多数決というものも生み出された。 後者はその信号を リレーで受け、その機械を緊急停止させるとともに、そのリレーで増幅された信号をコントローラに入力し、自動シーケンス制御や故障表示する ようにした。
この頃であるが、ある入力がコントローラに入ってから、それに起因する出力がどれくらい遅れるのか等も論議された。 現在はパソコンや スマートフォンのCPUのクロック周波数が非常に高く、特殊なことを除いて、その処理時間が問題になることはないが当時は周波数が低く、その 遅れ時間を算出して論議されたこともあった。
(2)信号伝送装置
プラントの様々な信号が地区電気室のコントローラに入力され、中央のコンピュータとの間を何千本の信号線でつなぐ事は高価になり、伝送装置 が検討されるようになった。 当初は、電話交換機タイプの伝送装置で、どのコントローラを接続するのか、その交換機で制御するものである。  その後になるが、出来てきたのが今のLANのような形態である。 当初、伝送装置で一番重要視されたのが、伝送される情報の正確さである。  現在の情報処理技術者で反転二重転送によるパリティチェックといってよく分かる人がいるだろうか。JIS方式とか独自プロトコルとか、その優劣 を競ったものであった。
しかし、最も重要なことは、産業の伝送装置で光ケーブルの採用であった。 始まりは鉄鋼の圧延制御である。あの赤く光る鉄を圧延していくとき に、毎分数百メートルの速度で走る鉄を正しく圧延するときにあのローラ間で前のローラでの情報を次のローラのコントローラに正しく、間に合う ように伝送するために 毎秒10Mビットの速度が要求された。 しかし、電気信号では同軸ケーブルを使用しても減衰が大きくてローラ間の距離を 伝送できなかった。そこで光を適用してその速度が可能になったのである。 この伝送路に光を採用する事は、速度だけではなく、プラントに おいては、電気のノイズに影響されないというメリットがあった。 そのため、光通信ケーブルを電力ケーブルと一緒に敷設して、簡便に工事できる 事は最大の長所になった。
(3)現在の監視制御システム
伝送装置と各種コントローラの進化により、分散制御・集中監視と小型化が図られた。 中央には大きな監視盤はなくなり、操作スイッチの並ぶ 操作デスクには、ちょっと前までCRTと呼ばれたブラウン管テレビ、今は液晶ディスプレイが何台か並んでいる姿である。 このCRT時代の操作で 欧米に見られた姿があった。 コンピュータの画面を見ながら機器に指令を出したいときに画面をタッチしてその機器を選ぶことがある。現在は スマフォで画面タッチは当たり前だが、液晶ではなく、CRTには一つの問題があった。 それは画面に静電気がたまる事である。ただし、あのドア ノブのようにビリッとするレベルではないが、欧米の操作員はそれを嫌い、指し棒の先に指のような形のものをつけて、椅子にふんぞり返りながら の操作の姿は日本人の私には違和感があった。
しかし、この中央の監視制御がコンピュータ化されたことによって欧米と日本の大きな考え方の違いが明らかになったことがある。それはプラント の運転をどうするかという決定の権限とその決定による操作の権限の関係である。 日本でも欧米でも、役職者や所長、場合によってはそこにいない 本社の役員がそのプラントの運転をどうするかの重要度により主要な決済をすることは同じである。 しかし日本ではその決済・決定により機器を 操作するのは中央の操作デスクにすわる作業員である。 しかし、欧米では操作権限が役職で定められ、主要機器の操作が上位の役職者のみに限ら れている事である。 このため、欧米またはその影響下にある国への監視制御システムには、操作者のID入力画面とその人毎の操作権限リストが 要求される。 当然、これは日本にはない考え方であり、国が変わればシステムも変わる一例である。 上位の役職者の決裁権限に基づいて決定が 下され、その指示を下位の作業者が確実に実施することが当たり前の日本の素晴らしさを感じるものである。
浄水場から太い本管で水が送られるが、その出口に緊急遮断弁が設置されている。確か米国であったトラブルと記憶するが、本管が破損し大量に 水道水があふれ出したが、緊急遮断弁の操作権限者である浄水場長が不在であったため、緊急連絡で戻ってくるまでの何時間も無駄に水道水を止め られなかった事例が思い出される。 状況を上に的確に素早く報告し、それを上が正しく決断して、下がそれを的確に実行するということが当たり 前の社会は素晴らしいことであるし、それを維持していく事の重要性を認識してほしいと考える。 これは、制度や観念的なことだけでは実現でき ないのである。 上が自ら気がついて指示を出すことを否定するものではないが、下のものが上の権限に関する事象に気がついて報告・連絡・相談 してくるということは下のものが上の問題をよく理解しているし、上もそれを越権視せずにその事象を検討し、判断を下す。 下はその判断から 直ちに複雑なプラントの運転操作を実現する。
しかし、米国発で大きく世の中を変えてきたこともある。その一つが ON LINE MANUALである。 電子化が進んできた軍艦で、完成図書(図面)や 取扱説明書をこれまでのように紙では装備できなくなったからと聞こえてきたが、プラントの多数の機器の資料を電子化し、例えば故障時に故障内容 とその対処法(取説)を監視画面に表示することが要求されるようになってきた。 一般社会でもこの変化は顕著である。パソコン、スマフォ、 カーナビなどを新規に購入したら、その機能の豊富さから分厚い取説が何冊ものはずが、簡単な初期設定の薄っぺらなものだけで、後は機械が自ら 説明し、インターネットで説明を読めるようになってきている。 コンピュータ技術者にとって、自己完結のこのようなもののマニュアルより、 実は困難さを伴ってしまう。それはプラントの制御しているプロセスだけでなく、そのプロセスを動かす多数の機械を理解しないと有効なON LINE MANUALとして機能しないからである。 機械が故障といったときに数百ページのマニュアルがドーンと表紙から一括表示され、それを順次読んで いくとなったら、だれもそれに頼らなくなってしまうからである。
次は分散制御の進化である。 地区電気室に分散制御コントローラを配し、その地区だけの判断で出来る制御はこのコントローラで制御し、 ネットワークで中央と接続して中央での人による監視やプラント全体からの自動指令を受けるものである。 このコントローラには二つの流れがある。
① シーケンスコントローラが 計装制御の機能であるPID制御といった演算制御も出来るようになった。
② アナログの調節計がデジタル化し、表示・操作は従来の姿を保ちながら発展した。
このどちらを使用するかは、この地区電気室における監視・操作の考え方やシーケンス制御のボリュームで決まるし、両方とも使用されることもある ものである。 ところで、上記のPID制御とは 比例・積分・微分のことであり、プロセスの値とその設定値との差分でフィードバックするときに差分 で比例した信号を出す制御とその差分を積分してより設定値との差をなくしていく高精度制御と差分を微分してその変化率から制御の応答時間を短く していく制御を示す。 よく文系の方が、高校時代の苦手な数学の微分・積分など実際に使った事がないと言うが、このようなことで、エアコンの 温度や車のエンジンの制御などに知らない間に使っているものである。
(4) 可変速ドライブ装置
4-1)セルビウス装置
1970年代、ポンプなどの駆動モータの速度を変化させるには、巻線型誘導電動機の二次側の出力をブラシで取り出して抵抗器に接続し、その二次 電力を制御して(抵抗器で消費して)いくものであった。 この二次電力というものが、その周波数が低く、速度によって変化してしまうものなので、 大型の効率が大事なものでは、その二次電力を整流して直流に変換し、それで直流モータを主電動機の反負荷側に直結して有効利用するクレーマー装置 というものとその直流電力をサイリスタという特殊なパワー半導体で逆変換して電源に回収するセルビウス装置というものがあった。 このセルビウス 装置は二次励磁制御とも呼称され、巻線型誘導電動機の運転速度はその二次巻線に誘起する電圧が同期速度との差(すべり)に比例することから、 逆変換の制御角を変えることで、電圧を変える=速度を変えるものであった。
重要な設備は装置の故障で設備そのものが停止してしまうことは、避けなければならないが、この装置は始動時に使用する抵抗器があるので、設備が 停止してしまうことはなく、この抵抗器を連続的に使用できるように冷却を考慮しておけば、速度も変えながらバックアップ運転できるメリットがあった。  そのため、インバータが普及してきても、その商品としての魅力は根強く、6000Vや3000Vの電圧で直接駆動する高圧インバータが安価に なってきた21世紀になるまで大型ポンプの可変速ドライブとして採用されてきた。 この装置の中心的なエンジニアであったものとして、今でも 鮮明に記憶していることが幾つかあるが、主な二つを挙げる。
① 70年代半ばの頃であったが、USA デンバーの S社向けにパワー半導体の米国輸出1号機として受注した。  S社は航空機の油圧ポンプのメーカであり、その試験設備としてのものであった。 この会社からこの設備の引合いをもらえたのは、その導入の責任者が 自分の会社のヒューストンにある子会社のキーマンの友人であったからであり、設備納入の2年後にその子会社に転職してきたのである。 米国の エンジニアの横のつながりや、転職の実際を垣間見る事ができた。 日本社会と全く異なる姿を実感した。 なお、これが契機となったか、その 米国子会社はインバータの販売に軸足を移し、米国には競合する相手もなく、ビジネスを伸ばしていった。
② 80年代当初と記憶するが、羽田空港の真ん中を通る高速道路は南下して地上にでると、今度は製鉄所の真ん中を通過するが、その製鉄所で転炉の 排風ブロワ用のセルビウスドライブの電動機のシャフトが何台か折れてしまった。 その物件に小生は関わっていなかったが、そのシステムの専門家と してその解決に関与した。 シャフトの振動には縦(軸方向)、横(軸を曲げる方向)、捻りの3種類であるが、折れ方から捻りと推察された。  シャフトが折れるほど捻り振動が出ているとのことから、まだ折れていない号機で現象をまず調べることとした。 捻りであるので、トルク変動の調査 である。 巻線型誘導電動機のトルクは二次電流に比例するので、セルビウス装置の直流電流を測定した。交流の二次電流を整流したものなので、直流 電流の波形は多少のリップルを持つが、全速度制御範囲で観察しても計算通りのものであった。 そこで、徹底的に調査することにした。研究所から 金属材料とセルビウス装置の各研究者、電動機と装置の各設計者と調整員と多くの人材を集め、現地調査に乗り込んだ。トルク変動は、シャフトに ストレンゲージを貼付けてその電気信号を同じくシャフトに括り付けたFM発信機を通して取り出すことにした。 昼すぎに準備作業に取り掛かり、納得の いく測定が完了したのは翌朝になっていた。 捻り振動のもとになっていたのは、上記のリップルであるが、その値は異常ではなかった。 しかし、 ブロワとモータがギアカップリングで直結されているところにそのトルクリップルが捻りの共振を起こしていたのであった。 ブロワの慣性モーメント はモータのものより何倍も大きく、そのためモータの方が大きく捩れる現象があり、結果的にモータのシャフトが捻り振動で破損してしまったのである。  その対策としては、捻り振動系としてブロワとモータを切り離すためにギアカップリングからタイヤカップリングに変更することにした。 その作業で カップリングを取り外したときに判明したが、捻り振動の共振の結果ギアの歯が衝撃で傷がつくほどであった。
4-2)インバータドライブ装置
戦後の電機の世界の発展はトランジスタに負う所が大きい。昔のラジオやテレビの調子が悪くなると叩くと良くなったのは、真空管の取り付け部の接触 が緩んだのに衝撃を与えて良くしていたこともあったであろう。 このトランジスタの進化は超小型化と超大型化の二極に渡っていた。 超小型化とは 顕微鏡サイズにしてIC、LSIに利用されるようになったことであり、超大型化とはラジオ等の数mA~数10mAのものが、数10A、数100Aと大電流の ものができて、パワー回路にも適用されるようになったことである。 これが、インバータドライブ装置として普及していった。 今では、インバータ エアコンの名前で知られるようにエアコン・洗濯機・冷蔵庫など各家庭にも数台のインバータが使用されているようになっている。(この結果、50Hz地区、 60Hz地区の引越しでも電気製品の買替えが不要)
モータの速度を変えるのは、モータが回るための回転磁界の速度を変えてやれば、つまり周波数を変えれば速度が変わるという一番分かり易い原理である。  この周波数を変える為に、電源の電力を一旦直流に変えてそれをまた交流にかえる(逆変換)ことをするのであるが、その逆変換をインバータということ から、この呼称がついた。 ところで、モータとは鉄心にコイルを巻いて力を生み出すものであるので、周波数を勝手に変える訳にもいかないところが ある。 励磁回路はリアクタンス回路なので、そこに流れる電流を変えなければ良いということから V/f(ブイバイエフ)一定というように制御して やればよい。 これにより、周波数を変えて速度制御していても、過励磁による鉄心の飽和で回らない、励磁不足で力(トルク)が足りないことなどがなく、 運転できている。 高価なサイリスタからトランジスタを使用するようになって、コスト低減もあるが、非常に性能向上が図れたのは、逆変換するときに 電圧や電流を1秒に数千個のパルスを発生させ、そのパルスの幅や高さを変えてサインカーブを模擬していくことができるようになったことである。  ここで、電圧のパルスを作るのを電圧型、電流のものを電流型といい、前者は比較的に普及タイプの中小型に使われ、後者は特殊制御のものや大型に使わ れる。 また、パルスの高さを変えるものはPAM(Pulse Amplitude Modulation)と呼ばれ小型に使用され、幅のものは PWM(Pulse Width Modulation) と呼ばれ中型以上に使われる。 このパルス変調制御により、可変速ドライブが標準モータで可能になった。 モータにとって、当然きれいなサイン カーブの電源ではなくなるので、その分だけ効率が低下(1%程度)したり、温度が若干上昇したりするが、モータの定格は機械より少なくとも、数~ 10数%大きく選定されているので、その余裕分で標準のセットにインバータが適用できるようになり、飛躍的に可変速ドライブが増えてきた。  前述のように交流電源を一旦直流に変換するものであるので、高調波が発生してしまう。 この高調波とは電源(50Hzや60Hz)の5次、7次、11次、 13次と6n±1次のもので、これによる不具合は防がなくてはいけない。 しかし、トランジスタインバータが適用されるのは小容量のものが多かった ので、この高調波がプラントや近隣に迷惑をかけたことはあまりなかった。 また計画時から容易にトラブルを予見することができるし、その対策もたて やすいものであった。 ここで、意外なところに落とし穴があった。それは停電時のための非常用発電機の容量不足が目立たない理由で起こりうる事で あった。 非常用発電機は停電時にプラント全体の運転を確保するという考え方もあるが、多くはプラントの維持ということから停電時の運転が選定され、 設備全体の容量より小さいものが適用されることが多い。 このときに、上記の高調波という電力は逆相成分を多く含むため、発電機の逆相の許容量を 超えてしまうことが散見された。 この逆相許容量は発電機のロータにダンパー巻線を持つと少し大きくなるが、概説的には、発電機容量はインバータの トータル容量の5倍程度であることを要してしまう。 この高調波は数100Hzの領域のもので、電気エンジニアにとっては分かり易い“方程式”による 検討・対策の課題でもあり、あまり大きな問題とならなかった。 トランジスタインバータの初期に起きて、その対策もすぐにできたが、数年に一度は 何年経っても起きてしまうトラブルがある。 それは、前述の主回路の電気(電圧又は電流)を1秒数千個のパルスにしていることに起因するその主回路の ノイズとして現れるものである。 このノイズは3相の中性点が浮動するものであり、500kHz弱~2MHz強の高周波であり、インバータ近傍では30~ 50Vの電位があるものである。 初めてのトラブルは東京近県のとある住宅街にある小さな水道局のポンプ所で発生した。近隣の住宅のオーディオ装置に ノイズが出たのであった。 このポンプ所は小さなポンプであり、電力会社より200Vで受電して、トランジスタインバータでポンプの圧力調整を図る ものであった。 電力会社の配電設備として6kV/200Vの変圧器から並列配電していた近隣住宅に配電線を通じて上記のノイズが入り込んでしまった ものであった。 対策は直ぐに実施できた。ポンプ所の受電設備に200V/200Vの変圧器を設置し、インバータ接続側である2次側の中性点を接地して ノイズをアースに逃がすと共に、長野県のある専業メーカのこの帯域のフィルタを設置した。 この周波数帯域がほぼAMラジオのものと一致しているので、 ラジオノイズフィルタとして、定着した。 しかし、このフィルタは万能ではなく、低減はするが無くすものではない。変圧器からインバータの電源 ラインにあるノイズということは、同じ変圧器に接続される全ての機器やそのラインにノイズが伝わるということ。 また、インバータからモータのライン にあるということは、電気室から現場への電線路にそってノイズが伝播していくし、モータの端子部で反射して、電源からの波と反射波でノイズが倍になる こともある。 また、モータの近くにあるプロセスのセンサーのアース回路にモータのフレームアースが大地を通して結果的に接続状態となり、計装回路に ノイズが侵入してしまう事も有る。 AMラジオとほぼ同じ帯域のノイズということは、接地線でも伝播してしまうことが、問題の最大の発生要因であるし、 発生時の対策においてノイズを閉じ込めて、一つ一つ伝播箇所をつぶしていく困難さがある。 ケーブルラック、トラフにおいて、従来はパワー回路と同じ 配線をしていた接地ケーブルで、パワーと制御をキチンと分けなくてはいけない。 あるノイズ問題の出てしまったプラントで一つ一つ対策していったが 最後にみつけたのが、ある電気室でインバータを収納した配電盤と制御装置を収納した制御盤があり、この制御装置にノイズが侵入していることであった。  全て、ノイズを隔離し、アースも別にして、ラジオ帯域なので無線伝播もチェックしたが直らない。最後に見つけた伝播ルートは次のものであった。  電気室であるので、床はフリーアクセスという20~30cm基礎から浮かしたものであった。 その構造として、床板を支えるために金属の支柱等で床板 をささえていて、それぞれの盤(筐体)は転倒防止のために筐体の基礎ボルトがその支柱に固定しているものであった。 これが最後のノイズ伝播ルートで あった。基礎ボルトと筐体の間を絶縁して伝播をシャットアウトすることができた。 このプラントの対応したときに、同じ会社の製品でありながら、 電気(電機)と計装の接地(アース)の考え方、小さな違いなのに、分野における設計思想の相違を痛感した。
  電気(電機):感電防止とノイズ等を逃がすもの。
  計装 :本質的に弱電なので、感電防止はあまり考えていない。
アースの最大の機能はリターン回路。 特に現場のセンサー類はそのケーシングと取付け金具などが、アースを介在して、ノイズの侵入口となり、一旦入って くるとどこでなにがおきるかわからない。 上記と別プラントであるが、ノイズ問題発生との一報でかけつけると、正面玄関の自動ドアがまるで透明人間が 出入りするかのように開閉しているのをみたこともある。 このプラントの高周波ノイズの対策として、異種接地線間の誘導は隔離距離が取れない場所では、 鉄板による隔離も実施したが、接地線そのものによる伝播は除去できないものがあり、接地極を分離することもした。 このプラントでの対策活動で認識を 新たにしたのは、ノイズを閉じ込めていくと、分散していたエネルギーが閉じ込められる事になり、ノイズレベルがアップしてしまい、閉じ込めていくと今まで 問題の無かった箇所に問題がでるということもあった。

3.電機メーカから見た下水道そのものの発展

下水道には雨水排除といわゆる下水を集めて処理という二つの機能が要求される。 街中のマンホールに雨水、汚水の2種類の表示があるのはその下の地下の 下水管がこの2種類あるということは認識している方も多いと思われる。 日本はほとんどがこの分流式を採用した。 一方、映画にも出てくるパリの下水道 などは汚水も雨水も一緒くたに流れていて、合流式と呼称される。 分流式は2本の配管を必要とされ、建設コストはその分かかってしまうが、合流式の ただ流せばよい雨の水に汚水が混ざり、処理されない下水が雨天時に河川や海に排出される事になってしまうことは避けることができる。 第1章で記述した 1970年の水質汚濁防止法はそれ以降の進化で総量規制の採用などで、日本の河川、海の浄化に貢献してきた事実から分流式を初期から採用してきたことは 正解であったと痛感する。
(1)雨水排除
下水は地下に敷設された下水管を重力による自然流下で流れていく。 ここで、余り知られていない二つの技術的事項がある。
① 2%以上の勾配が必要。
② 下水管の最大流量は上部に少し隙間のあるときで、それ以上流れ込んでくると、当然下水管は満水してしまうが、流量は若干隙間のあるときより小さくなる。  2%の勾配というのは、平らな土地である海岸に近い都市部で特に問題になる。 それは、たった1kmの距離で20mも深くなってしまうためである。  そのため、雨水排除の設備として、ポンプ設備が必要になる事が多くなる。 また、都市部では集中豪雨の水が排除できなるため、一時滞留設備が必要になるし、 その運用を図るためにリアルタイムに降雨をみる雨量レーダも必要になる。 例えば、東京都には環八の下などに巨大なトンネル状の雨水貯留設備はテレビ でも紹介されているので一般に知られている。 雨量レーダは最近ではインターネットでリアルタイムに我々でも見ることができるようになっている。  江東区などの勾配が取れない地形の場所では巨大な排水管の要所にはポンプ所が設置され、雨水を海に流すようにしている。 この様なポンプは嵐のときこそ、 その真価を発揮するものであるので、停電時の自家用発電機などのどんなときでも運転を続ける仕組みは肝要である。
また、排水管の流量の問題であるが、確か1990年代に赤坂付近の外堀通りであったと記憶するが、集中豪雨のときにマンホールの蓋が水の噴出しのために 吹き飛んだことがあった。 これは流入水量が増えすぎたため、配管が満水してしまい、管内の流量が低下し、圧力が高まったためであった。(外堀通りは もともと沼沢地を溜池として利用した江戸城の外堀を埋め立てたものであるし、赤坂はその地名が示すように江戸城の反対側はなだらかであるが坂になっている) 電機メーカとしては、この蓋の対策には関与することはなかったが、下水道局の素早い対応はみごとであった。
低いところにあるマンホールは全て鎖で内部とつないで飛ぶ事がないようにした。 それから、第2段として時間をかけて、蓋が内部のレバー付のようにした。  全国的にこのような対応が成された結果と思っているが、昨今の集中豪雨で水がついても、マンホールの蓋は問題になっていない。頭が下がる思いです。
(2)海外の雨水排除
海外でも雨水と汚水を別の管路で流す分流式、同じ管路の合流式の論議があるのは文献などでも明らかである。しかし、あのパリの下水道のような大都市の 地下の巨大水路の合流式下水道は日本にはなじみが無い。 前述の2%の勾配に関しては国には関係の無い水の流れという技術的な問題である。  日本は山の多い島国である。 日本地図では平野となっている私の住む横浜は、高くはないが丘の連なりとその間に挟まれた谷で構成された地形である。  日本のほとんどの都市は、海の直ぐ近くにあり、2%勾配の地下管路の形成に困難なことがない。 しかし、大陸の都市はどうであろうか。あのパリはセーヌ川 が流れ、有名なモンマルトルの丘があるが、広大なヨーロッパ平野の中央付近にあるし、その街はあの丘を除けばまったいらである。 平らな土地に2%勾配の 地下管路を設けたら、必要になるのは管路が深くなっていくのでポンプ設備である。 このポンプとそのための土木・建築設備を雨水、汚水のそれぞれに必要と したら、一設備でよい合流式がメリットでるのか。 失注したが、オーストラリア メルボルン市と受注したカナダ モントリオール市の数千馬力という巨大な 可変速ポンプ設備がある。 両方とも街から離れたところに下水処理場を作り、合流式の地下管路で雨水・汚水を一括して運んできたものを下水処理場にポンプ アップするものである。 このポンプのための貯留槽が地下深くなるため、場合により水が沢山溜まり、その水位と下水処理場までの揚程の変化が大きくなる ため、ポンプの速度を変えるものであった。 この仕事では、いろいろないつもと異なることがあった。
・入札時から分かっていた事であるから必要費用は盛込み済みであったが、最後の内陸輸送で電力会社の配電線が引っかかるため、配電線を一時撤去してもらった。
・モントリオール市が五輪で資金がなくなり、数年間設備を倉庫で保管した。
・数千馬力の縦型ポンプであるので、モータにはスラストベアリングを適用されるが水力発電機で実績豊富な独自なものを顧客に認めさせた。 この承認取得の ために、資料を持参して打合せをして、OKがでるまで追加質問などに備えるために、商社で待機もしていた。 その時に、顧客のコンサルタントエンジニアリング 会社のベアリング専門家に懇意になってからであるが、なにげなく、その3~4ヶ月前に生まれた長女を妻が抱いている写真を見せたら、それから仰天の推移で あった。 私が、承認取得まで頑張る事は承知していたので、その場で直ぐに何人かに電話をかけて、わたしのその事情を伝え、あっというまに承認取得まで もっていってくれたことである。こんなことは日本社会ではありえないことと、実感した。
(3)下水処理の発展
前述のように水質汚濁防止法が制定された頃は、下水道普及率はとても低く、バキュームカーでトイレの汚水を運ぶ姿があたりまえであった。 それから、官民とも 巨額のインフラ投資で現在のようになってきた。 ここで民とあるのは、自宅の前に下水管ができても、浄化槽を撤去し、下水道に接続するのは各戸の負担である。  下水道の普及のために下水処理場の建設が必要な事はいうまでもないが、それよりも高いコストを要求するのは、下水管路の敷設である。 当初は単に下水道管路 を敷設し、処理場を建設していけば目に見える環境改善の効果は顕著であった。しかし、直ぐに、それだけではダメであると社会が認識した。 下水処理は 活性汚泥法で処理しているのだが、基本的に①ゴミの除去②2時間の沈殿③4時間の曝気④2時間の沈殿の8時間で有機物を分解処理しているものである。  これでは、中性洗剤や油などが処理できないし、それが無視できない量であることが明確になったことがまず挙げられる。 そのために、家庭から油を流す、 中性洗剤は極力少なくしろと運動し、きわめて少量で効果を発揮するものが出来てきて、使用量が社会として少なくなり、下水処理場からでてくる水が泡をふくこと もなくなってきた。 また、活性汚泥法では炭水化物などの有機物処理はできても、重金属は本質的に不可であるし、窒素、リン、カリウムなどの富栄養化などは、 好気性処理ではなく、嫌気性処理が必要になる。 この嫌気性処理は、下水処理場の廃棄物ともいえる汚泥の消化分解として採用されている。この消化設備からは 消化ガスというメタンガスが発生するので、このガスを回収して、発電しているものも見られるようになった。 この消化ガス発電も初期段階ではガスにメタンの ほかに水分も多く含まれていたのでエンジンのシリンダーなどの寿命を短くしてしまうなどの課題もあった。
次は、汚染された河川や海の底に堆積したヘドロの問題である。その対策として考え出され、効果をあげてきたのが総量規制である。 一つの河川や湾の自然浄化力 というものを探り、その流域全てから排出される環境負荷とも呼称される汚染物質の総量を規制し、その規制値から下水処理場の浄化レベルをあげてきたのである。
(4)水源の悪化と浄化
高度成長時代には事実上垂れ流しであったいろんな化学物質や重金属などをその工場で地道に処理してきたことも社会の進化のなかで忘れてはいけないと思う。  その中で、環境負荷としては小さいが、目立ち、処理が大変なのが排水の色である。 製紙工場の黒液、染物工場の染料、これらは環境負荷としては小さいので あるが、水に色がついてしまっている。 この脱色に効果をあげたのがオゾン処理である。工業的にオゾンを発生させて、着色してしまった水に反応させると見事に 脱色できた。 このオゾン発生装置は電機メーカのお手の物である。 実は、このオゾン処理はこの工場排水の脱色もあるが、メーカとしては水源が悪化してきた 浄水場の適用が最大の用途である。 ひところ、大阪などで顕著であったが、水源の悪化でまずい水になってしまったのをこのオゾンを使用した高度処理で普通に 飲めるようにして実績をあげてきた。 また、ある地方都市では水源の劣化から水道水に臭いがするようになり、オゾン処理で対応した事例もあった。  個人的には、水道の蛇口に取付けて使用する中空糸膜を利用した水道用フィルタをあげたい。 これは日本有数の化学メーカが琵琶湖の湖畔に工場を持ち、湖水を 工業用水として使用していたが、その水質が劣化してきたので、それに対処するために自らの得意とする糸、膜の技術で生み出し、まず自ら使用したものを商品化 したものであった。 この中空糸膜による浄化ということは、進化をとげて、水源の少ない沖縄の北谷浄水場では海水から塩分を除去して淡水化して水道水として いる。 また、災害時のものとして、車載設備として海水や河川の水を浄化するものもテレビで見かけた。環境の劣化とそれに対処する自社の固有技術による 新ビジネスの創出と事業拡大という現在の日本の企業の抱える課題のすばらしい解決事例と考える。

4.最後に

電機メーカとしてではあるが、上下水道の一旦を担い、技術者として多様な課題に取組んで来た者として、これからの人たちにお願いする。 今後も、今までと 違った思いもかけないような課題が出てくると思います。 いろんな場所でのヘドロ対策で富栄養化した水の処理はずいぶんと経験を積んできたが、琵琶湖や霞ヶ浦 の規模での対策は今後の課題であると思うし、沿岸の赤潮対策としてリンの除去はそもそもどうやったら出来るのか、将来は上手に対応してほしい。 しかし、 冒頭に記述した、小魚が住み、水鳥がさえずるせせらぎのある都会であるということの素晴らしさとそれを維持する社会の奇跡を皆さんの子供のために続けること を切に願う。

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