14.アンバンドリングのビジネス

CPUを製造するPCMビジネスには2通りの典型的な方法があった.富士通方式と日立方式である.分かりやすいのは富士通方式である.富士通はハードウェア,ソフトウェア共にIBM互換を徹底的に追求する考えである.この戦略で富士通は国内外へのビジネスを展開していった.つまり真っ向からIBMと勝負するという考えである.富士通は米国アムダール社の実質的な所有社であったが経営には口出ししない方針を当初は持っていた.アムダールは富士通からハードウェア部品を購入し米国で組立て,販売していた.470V/6である.アムダールは主としてこのマシンにIBMのMVSを載せていた.顧客はIBMとソフトウェアのライセンス契約をすることでこのビジネスが成立していた.(独占禁止法の問題でIBMはMVSを適切な価格で顧客に販売せざるを得なかったのである.)富士通のヨーロッパでのビジネスは米国とは異なり,ドイツ・シーメンス社が富士通のマシンを販売していた.シーメンスではソフトウェアも富士通製(つまりOSIV/F4)をハードウェアとセットにして販売していた.オーストラリアでも同じビジネススタイルと聞いている.この方法によりOSのソースコード(プログラム)も海外の提携先に渡していたようであり,伊集院さんの小説には,ドイツ・シーメンスに送ったソースコードが図らずも紛失し,その行方が不明だたと述べられている.

一方の日立方式は,日立が製造したMシリーズを海外ではハードウェアのみを提供し,ソフトウェアはすべて海外の顧客がIBMとのライセンス契約により調達するコンピュータシステムの利用法を採っていた.だが国内販売の場合ソフトウェアは一部の例外を除いてIBMのパブリックドメインであったOS/VS1やOS/VS2を基にし,日立が開発したVOS2, VOS3などを提供する方法である.海外輸出用のハードウェアはIBMのマシンと完全互換であるが国内販売用は完全互換ではなかった.米国でのPCMビジネスはNAS(National Advanced Systems)でありAmdahl社同様にソフトウェアは顧客がIBMとライセンス契約による準備をすることになっていた.つまりMVS/SPよりも前の段階でIBMのアンバンドリングを利用していたことになる.

このようにPCMビジネスは富士通と日立とは大分異なる.IBMからすれば富士通のオーストラリアやヨーロッパでのビジネスはハードウェアのみならずソフトウェアもIBMの市場に食い込むことになるため痛手となったはずである.特にソフトウェアについてはIBMの知的財産権(所有権とは呼ばないようであるが)の侵害に神経を尖らせていた.OS/360やMVSの開発には莫大な投資をしてきたので,それを易易と手に入れてビジネスをしている企業を許せないのは当然であろう.米国ではプログラムの著作権が成立していない1981以前には法的な根拠がなく訴訟できないこと,それに司法省からの独占禁止法で睨まれていることなどから身動きが取れなかったようである.しかし1981/1/1にプログラムの著作権が成立する見通しを得たこと,レーガン政権になり強いアメリカが政策の柱となり,巨大企業のIBMとATTの間で起きていたコンピュータ・通信分野への相互参入を巡る訴訟などの仲裁があり,いよいよIBMはPCM対策を積極的に取り始めのたのではないだろうか.これらが1982年6月22日に起きたIBM産業スパイ事件の背景にあったものと思われる.

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脱IBM VOS3/ES1開発
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